喜さんのプライベ-トル-ム


河伯洞

2006年03月25日

河伯洞
「河伯洞」は河童の棲む家という意味で、

火野葦平(本名:玉井勝則1906〜1960)が

河童をこよなく愛したことから名付けられたものです。

葦平はこの河童洞で昭和15年(34歳)〜

昭和35年(53歳)までの大半を過ごし、

代表作の1つ「花と龍」をはじめとして

絶筆となった「真珠と蛮人」までの数多くの

文学作品を生み出したのです。

2006年03月25日

河伯洞
「河伯洞」は、父・玉井金五郎が息子、

葦平のためにとその印税によって建てたものです。

葦平は、戦地での戦友達の苦労への思いから、

後々もこのことを負担に感じていたといいます。

2006年03月25日

河伯洞
写真は火野葦平・清川虹子さん

2006年03月25日

河伯洞
火野葦平愛用の机

2006年03月25日

河伯洞
額の上の字が ひのあしへい に成っていますね

遊び心も有ったようです。

2006年03月25日

河伯洞

2006年03月25日

河伯洞
葦平文学が世に知られたのは、昭和13年「糞尿譚」で

第6回芥川賞を受賞したことにより、

一地方作家から全国的な作家となったことによるものです。

映画のスチ−ル写真 主演は伴淳三郎

続けて世に送り出した「麦と兵隊」「土と兵隊」「花と兵隊」

兵隊三部作でベストセラ−作家になったのです。

2006年03月25日

河伯洞
タンスの中には当時刀が

何振りも有ったとの事。

2006年03月25日

河伯洞
玉井組 飯場風景  

2006年03月25日

河伯洞
玉井金五郎の妻マンさんの写真  

2006年03月25日

アルバム
初代花と龍の主役  藤田進・・島崎雪子

2006年03月25日

火野葦平資料館

2006年03月25日

火野葦平資料館
書籍の再現

2006年03月25日

火野葦平資料館
賀状まんだら

2006年03月25日

火野葦平資料館



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